何故僕が教授を名乗るかについてのメモ

この世ははじめから間違っていた

エンパスとして生きていく

1.最近はサイコパスなんつって共感力の欠如したキャラクターが持て囃されたりしてるが、

エンパスというのはその真逆を行く性質だ。

つまりは他人の感情や思考を感じすぎるくらいに感じてしまう性質。

他人が少しでも不機嫌そうにしていると、

それをいち早く察知してしまって、怯えを抱いてしまう。

例えば、学校で先生がクラス全体を叱っている様な場面を想像して欲しい。

重苦しく険悪な空気が漂っているだろう。誰だって「早く終わってほしい」と思うはずだ。

エンパスとはそういう風な「空気」に対して非常に敏感なのだ。

そして、その敏感さゆえに他人よりも頻繁にそういう「空気」を感じ取ってしまう。

これは非常にストレスフルなことである。

 

2.エンパスの人がそういったストレスの中で生きていくには

むしろ冒頭で書いたような、サイコパス的性質を演じていかなくてはならない。

つまり、他人のネガティブな感情、攻撃的な感情に怯えず、

かえって厚顔無恥、泰然自若なくらいでなくてはストレスに押し潰されてしまう。

しかし、ただでさえ他人の顔色次第な生き方をしてるエンパス人間が

そう簡単に翻って生きていけるはずがない。

この享受した「共感力」に振り回されないためにも、

日々から訓練をしておかなければならない。

それは認知行動療法の様に、「過敏に反応してしまっている自分」を認知し、

果たして今感じている感情は正しいか、怯える必要があるか、と言った風に

状況を正確に判断していくことである。

 

3.一方で、エンパスにもメリットはある。

人の感情に共感することが得意な分、人間関係を円滑に構築できるだろう。

あるいは、カウンセラーの様に、ある問題の渦中にある人に対して、

適切なアドバイスを送れるかもしれない。

 

4.僕はこのエンパスという性質を、いわゆる「ギフテッド」的なものだと思っている。

殊に共感というのは、それが出来ない人にはなかなか出来るものではない。

これを上手く活かして生きていくには、共感による過剰な怯えを認知でコントロールし、

また共感によって他人と上手く渡り合っていくことが肝要だろう。