「殉じる」ことの文化進化的側面について
1.人類進化論
はじめに、人類は他の生物とは違った進化方法を選択したということを説明する。
進化生物学によれば、生物は遺伝子の垂直伝播、即ち繁殖を主として進化を重ねる。
ところが、人類の場合は、言語伝達を利用したミーム的な水平伝播を経ることによって、従来の「遺伝子情報に基づく進化」を大きく凌駕する速度での「文明的進化」を遂げることが出来た。
文明社会に進化の機能を一部委託することによって、種としての画一的な進化(即ち文明技術の拡散)と、社会ネットワークを介した分散コンピューティングによる指数関数的な文明的進化を行うことが出来るようになった。
この様に我々人類は、遺伝子による進化から、ミーム(情報的遺伝子)による進化を進歩の足がかりにしたわけである。
しかしながら、人間もやはり生物の範疇にあって、その行動原理は変わらず、「自身の遺伝子を後世に伝達すること」こそが人間の生来の使命なのであるが、この「自身の遺伝子」というものが上述の通り、ミームによって代替可能になってしまった今、必ずしも繁殖を通して自身のコピーを作っていく必要もなくなってきたわけである。
2.「殉じる」こととミーム
ところで、近年、ある宗教の過激派が自爆テロなどによって世界を脅かしているが、彼らのあの行動は、「文明的進化」のモデルの様なものである。
1項で述べた通り、人類は今やミームを伝達することを生物の使命として生きているが、もし、自身の持つミームと、全く同質だと認められるミームを、既に他者が持っていたとすれば、どうなるだろうか?
これは本来、DNAなどの遺伝情報では有り得なかったことだが、情報としての特徴を持つミームならばあり得ることだ。
面白いことに、この実験を実践している生物がいる。ハチである。
ハチとはご存知の通り真社会性を持つ生物で、彼らは一つのコロニー(ないし女王)を守るために様々に協力して生きている。いわば、彼らにとってコロニーこそが遺伝情報そのものであり、それを集団で共有しているのである。
そして、ハチは自身のコロニー(遺伝情報)が危険に晒されると、身を挺して、その遺伝情報を守ろうとする。これが上述の実験の一つの答えである。
ミームがある生物にとって、後世に伝えるべき遺伝子で、そのミームが既に他者と共有されている場合、ミーム伝播の役割をその他者に託して自身はそのミームにとっての外敵を排除することに専念することが出来るのである。
そして項の初めで上げた宗教というのは、まさしく集団で共有されるミームである。そして、そのミームを守るためならば、彼らは自分の命を捧げることも厭わない。
これが「殉じる」ということである。